西宮北口町自治会のあゆみ
50年前、西宮北口駅北東地区の再開発計画が新聞発表されました。
この記事に驚いた地域住民の有志が住民全体の問題として対応して行こうと立ち上がったのが自治会創設につながりました。
1 北口町再開発問題の研究と協議
(北口の商店街も再開発は必要との意見でバブルの時まで市当局と協議・検討し再開発協議会に移管する。震災復興で再開する。)
2 地域住環境の整備充実
(当時町内は未舗道の私道ばかりであったが、私道であっても1回の舗装は認めようと市の計画で舗装し、少しの雨でもあふれる水の下水排水対策・下水道の清掃、戦前の旧い上水道管・ガス管の取替え等)
3 自転車の駐輪場の整備
(旧津門川の上に、西宮市で最初の市営自転車置き場を北口駅前に整備設置、その後次々と追加拡充されていく。)
4 文化事業、会員親睦
(大阪ガス姫路工場、関西電力美浜原子力発電所のバスによる見学会実施、住民参加のボーリング大会の開催)
西宮北口駅周辺の位置づけと市街地の沿革
(1)西宮北口駅周辺の位置づけ
西宮北口駅周辺は、京阪神都市圏の中で、交通条件や自然環境に恵まれ、人口集積度が高く、都市化が進んでいる阪神地域の中央部に位置し、阪急神戸線で、大阪梅田及び神戸三宮へ約15分で結ばれている交通至便な地区です。
また、165万人の兵庫県阪神地域の交通の要衝にあり、西宮市においても、南部市街地のほぼ中央に位置し、総合計画においても、市役所周辺を含む阪神西宮・JR西宮駅周辺とともに、西宮市の都市核を形成すべき位置と位置づけられています。
(2)市街化の沿革
西宮北口駅周辺は、明治末期までは、武庫川流域の水環境に恵まれた、高木集落を中心とする農村地帯でした。
大正期に入ると阪急神戸線及び今津線が開通し、郊外住宅地としての立地条件が整い、甲東園住宅地開発等の住宅地開発が進みました。大正~昭和初期に地区西部の大社村一帯は耕地整理が施行されましたが、西宮北口駅周辺では実施されませんでした。
昭和8年には、地区周辺の市街化に伴い西宮北口市場、北口本通り商店街が開設し、昭和16年には、高木小学校が開校しました。
戦後、新北口市場も開設され、経済の成長に伴い西宮北口駅周辺の市街化は進みましたが、昭和49年に中津浜線が整備されるまでは、都市基盤の整備が著しく遅れていました。昭和50年代に入ると地区周辺の都市化に伴い阪急西宮北口駅の位置づけが高まり、昭和59年に西宮北口街づくり構想が発表され、平成4年には、駅南土地区画整理事業が計画決定されるなど、まちづくり計画が進められようとしていました。
年 | 事項 |
大正 9年 | 阪急神戸線開通(西宮北口駅設置) |
大正11年 | 阪急西宝塚複線開通(西宮北口~宝塚) |
大正12年 | 阪急西宮車庫車両組立工場拡張 |
大正14年 | 西宮市制施行 |
大正15年 | 西宮北口~今津間開通、西宝塚を今津線と改称 |
昭和 2年 | 昭和園開発着手 |
昭和 5年 | 甲風園住宅地開発(阪急) |
昭和 8年 | 西宮北口市場、北口本通り商店街開発 |
昭和17年 | 西宮球場建設 |
昭和16年 | 高木小学校開設 |
昭和17年 | 瓦木村、甲東村が西宮市に編入 |
昭和20年 | 第2次世界大戦終戦 西宮北口映画劇場開設 |
昭和21年 | 西宮球場開設 |
昭和22年 | 新北口市場開設 |
昭和23年 | 西宮北口集団鉄筋アパートの建設 |
昭和33年 | 阪急西宮市場開設 |
昭和38年 | コープ北口店開業 |
昭和40年 | 阪急西宮車庫拡張 |
昭和42年 | 甲東瓦木地区土地区画整理事業都市計画決定 |
昭和44年 | 甲東瓦木南地区土地区画整理事業都市計画決定 |
昭和49年 | ニチイ西宮店開業 中津浜線供用開始 |
昭和52年 | ダイエー西宮店開業 |
昭和59年 | 西宮北口街づくり構想発表 |
昭和62年 | 甲東瓦木第一特定土地区画整理事業事業認可 阪急西宮北口駅橋上駅完成 |
平成4年 | 西宮北口駅南土地区画整理事業 都市計画決定 |
平成7年 | 阪神・淡路大震災 |
震災前の地区の状況とまちづくりの課題
(1)震災前の地区の状況
阪急西宮北口駅の位置づけの向上とは反対に、西宮北口駅北東地区(以下「本地区」)は、生活基盤が未整備のまま市街化が進行し、密集市街地の状況を呈していました。
地区人口は、昭和45年の6,300人をピークに平成2年には5,500人と減少をはじめていました。65歳以上の高齢者率は、平成2年で14.4%で全市平均の10.3%より高くなっていました。
地区内の住宅形式は、戸建住宅がもっとも多く約40%で、文化住宅、長屋、マンション等が分布していました。
地区内の道路幅員は、4m未満の細街路が多く、全延長の約50%を占めていました。その結果、地区内の住宅の内、幅員4m未満の道路に接する接道不適格は約40%で、中でも北口町は50%強が接道不適格でした。
また、住宅の老朽度は、住宅地区改良法の判断基準で52%と過半を占め、特に北口町は70%を越えていました。
(2)まちづくり課題
本地区の位置づけとして現状に対応し、西宮北口駅周辺のまちづくり課題として西宮北口駅周辺を対象とした“広域的都市核の整備”と北口北東地域を対象とした“健全な住環境の整備”があげられていました。このため、震災前の昭和63年度から平成6年度に次のような計画策定調査が行われました。
①西宮北口駅周辺地区都市総合再開発促進計画策定-昭和63年度
・調査の目的:阪神間の広域都市核にふさわしい活気あふれるまちとするための基本計画の策定
・整備目標:「21世紀のアーバンステージの創造」
②西宮北口駅北東地区住環境整備誘導計画策定-平成5~6年度
・調査の目的:北口北東地区住環境の改善を図るための整備プログラムの作成
・整備課題:都市計画道路北口線及び武庫川広田線老朽住宅の更新、密集市街地の整備環境の改善、細街路、公園の整備
・整備推進方針
①車庫北線、北口線、武庫川広田線の整備推進
②駅前直近地区は高度利用型として市街地再開発事業密集地区は「地区計画」+住環境整備事業に取組む
阪神・淡路大震災による被災
(1)兵庫県南部地震の概要
平成7年(1995年)1月17日(火)午前5時46分、マグニチュード7.3の兵庫県南部地震が発生しました。
■兵庫県南部地震の概要
発生日時 | 平成7年(1995年)1月17日(火)AM5:46 |
震源地 | 淡路島北部(兵庫県淡路市〔旧津名郡北淡路〕) |
地震規模 | マグニチュード7.3 震度7(激震)、震源の深さ16km |
西宮市内の被災状況は、死者1,146人、全半壊家屋は61,238世帯でした。 |
■西宮市内の被災状況
死亡者 | 1,146人 |
負傷者 | 6,386人 |
全壊家屋(全焼を含む) | 34,136世帯 |
半壊家屋(半焼を含む) | 27,102世帯 |
(2)本地区の被災状況
本地区の被災状況は、死者57名で、建物等の被災状況は、日本都市計画学会の調査によると全壊が590戸(33.7%)中程度の損傷が290戸(16.6%)で両者で880戸(50.3%)でした。
■住宅種別被災概況
一戸建 | 木造共同 | マンション等 | 合計 | |
A 軽微な損傷 | 250 | 50 | 20 | 320 18.3% |
B 中程度の損傷 | 160 | 130 | ― | 290 16.6% |
C 全壊・大破 | 270 | 310 | 10 | 590 33.7% |
被害なし | 90 | 60 | 440 | 550 31.4% |
合計 | 770 | 550 | 430 | 1,750 100% |
(3)当時の様子
震災復興重点面整備事業地区に指定
(1)西宮市災害市街地復興基本方針で重点面整備事業地区に指定
西宮市は、壊滅的な打撃を与えた阪神・淡路大震災からの逸早い復興をはかるために、平成7年1月31日に「西宮市災害市街地復興基本方針」を定めました。この中で本地区は森貝地区、阪神西宮駅南地区、JR西宮駅北地区の3地区とともに、被害が集中し安全性の確保が必要な地区として土地区画整理事業、違い地再開発事業等による重点面整備事業地区に指定されました。